対談

monova対談 Darjeeling
monova対談「Darjeeling」(ダージリン)は、monovaプロデューサーの杉原広宣が、モノづくりに関わる様々なジャンルの方々へのインタビューを通じて、モノづくりの今を伝えるWEBマガジンです。つくり手、流通に関わるつなぎ手、そしてモノの使い手、皆さんに読んで楽しんでもらえる内容を目指します。
山田佳一朗氏プロフィール
山田 佳一朗 www.kaichidesign.com 略歴 1997年武蔵野美術大学卒業後、同大学研究室助手を経て2004年KAICHIDESIGNを設立。 “違和感”を“共感”に変えるインテリアプロダクトを展開している。 グッドデザイン賞(2004)、red dot design award(2010)等受賞。 ミラノサローネサテリテ(2004〜2006)、デザイナーズカタログ10(2004)、A Dream Come True(ミラノ、2007)等出展多数。主な作品にDNA CD rack(イデアインターナショナル、2007)、KOTORI(アッシュコンセプト、2009)、酒器だるま(セラミック・ジャパン、2009)など。 本編に登場するWAZUTU輪筒(藤木伝四郎商店)が2011年度Good Design Award受賞。

 

KOTORI(アッシュコンセプト)

杉原:山田さんは様々な伝統工芸などに深く携わっていて、私も注目しているのですが、まずはどのような経緯でものづくりに携わるようになったのか、お聞かせくださいますか?
山田:そうですね、大学は武蔵野美術大学インテリアデザインコースで、工芸も工業デザインもインテリアもある「工芸工業デザイン学科」というところでした。
杉原:もとは空間デザインに興味があったんですか?
山田:いや、なかったです。(笑)当時、工芸と工業デザインはすごく興味があったんですけど、空間には興味がなかった。でも一番弱いところを最初にきちんとやりたいと思って空間を学べるコースにしたんです。
杉原:あえて弱いところから学ぼうとした結果のインテリアデザインコースだったんですね。初めからデザイナーを目指してたんですか?
山田:「ものをつくる人」「ものづくりに関わる人」になりたいっていうのはありましたけど、デザイナーとはあまり考えてなかったですね。デザインを最初に意識したのは、高校時代にセーターを買いに行って、欲しいものがなかった時なんです。じゃあ、自分で作るしかないなって。編んだ事がないから、セーターにならずマフラー1本でその冬は終わっちゃいましたけど。(笑)
杉原:そう考えるのは、やはり違いますね。私はセーターを作ろうと絶対に思わないもの。諦めるか、買えるようになるまで我慢するか。 (笑)
山田:「世の中にないのなら、自分で考えて行動しなきゃいけないな」と思ったのはその時が初めてでしたね。高校生のその時はそれがデザインだって事に気付かなかったんです。
杉原:大学のインテリアデザインコースの後、プロダクトデザイナーとして活動を開始されるまでは、どんな経緯があったんですか?
山田:研究室に助手で残って6年間、椅子の研究をしていました。当時は家具がメインでしたね。その最後の2年間がとにかく大変だったので、ひとまず休もうって感じで、任期満了に伴い大学を退職しました。辞めた当日に旅立って新婚旅行をかねて一ヶ月くらいヨーロッパをまわって、そこで初めてミラノサローネに出会ったんです。その中のサテリテって展示会には、日本の若手デザイナーや大学の後輩なんかも出展していて、その場で一流メーカーの商品化が決まっているんですよ。若手が活躍できるこんな場所がある。これは休んでる場合じゃないなって思ったんです。
杉原:それで次の年のサテリテに出品されたんですね。全部、ご自分でメーカーを探して試作を繰り返して出展したんですよね。正直なところお金も大変じゃないですか?
山田:大変ですよ。作ってもらうのも大変だし、出展するのも大変です。前の年稼いだものは全部スッカラカンになる。だからこそ成功しないと。
杉原:ホント勝負ですよね。
山田:人によっては、経験もあってコストバランスもしっかりできているんですけど、僕はいきなりお金を稼ぐ手段もないまま出展したんで、そこで仕事もらえないと、もうやめるしかないんです。結果的には商品化が決まったり、声をかけてもらって仕事を始めたりして成功だったんですけどね。
杉原:そういう発表の場を使って、徐々にメーカーから話がくるようになるんですか?
山田:そうですね。でも、それで依頼がいきなり増えたという訳ではなかったですね。「デザインをやっていこう」って決めることはできたけど、それで食っていくまでは、とてもじゃないけどいかない。
杉原:山田さん自身が海外で発表して、どんなことを感じました?
山田:やっぱり反応が全然違います。経験も何もない若い人にメーカーが仕事を依頼できるか考えたときに、そんな環境は絶対日本にはないって当時の僕は信じてたんです。
でもミラノは違った。
例えば、ミラノサローネ全体の前夜祭があるんですが、大メーカーの社長や、有名デザイナーや、問屋さんをはじめ、何万人っていう人がその夜にサテリテの会場にいるんです。
パーティだから酒飲めばいいか、なんて思っていたら「なんでブースにいないの?」と言われてブースに戻っていたんです。そしたらイタリアのあるメーカーがグラス片手にブースにきて「佳一朗のCDラックは最高だ。うちで商品化するから、ちょっと契約書かけ」ってその場で言われたんです。考えられないでしょ?(笑)
まず声をかけてもらえること自体、想像できなかったのに、前夜祭でイベントが始まる前から決まっちゃうんです。それでもう完全に衝撃を受けましたね。翌日からも僕が誰なのか関係なくモノが良かったら、「おまえは素晴らしいデザイナーだから一緒に仕事しよう。これは商品化する。」って何人も言ってくれるんですよ。

杉原: 依頼をされてデザインするのと、自分がやりたいことをやるのとでは考え方も変える必要がありますよね?山田さんが考える、デザイナーとしての立ち位置はありますか?
山田:難しいですね。僕も上手く消化できない時期がずっとありました。最初の頃はメーカーの商品化から始まったことは一度もなく、売り込みからだったんですが、今は完全に逆転して、ほとんどが依頼から始まるプロジェクトになってきてます。やっぱりその途中で悩むこともありましたね。要は目的が明快じゃなかったんです。自分の売り込みの頃は、メーカーの想いが二の次だったから。
杉原: 自分の作品を評価してくれたメーカーからの依頼だから、当然自分の色を出さなきゃならない、期待に応えようって気持ちがでますよね。
山田:そう、完全に若い感じです。(笑)相手のことを理解して、何が目的で始めるのか合わないままプロジェクトがスタートしてたんですよね。今はきちんとヒアリングして理解する。依頼をされる側でも、提案する側でも、そこの合致ができてから始める。またはプロジェクトの中で合致するようにお互い努力をして商品にするようにしています。
杉原: 「作品」と「商品」という言葉がありますが、この言葉の定義についてデザイナーとして山田さんは何かお考えがありますか?

酒器だるま(セラミック・ジャパン)

山田:若い時にはそういう議論をよくしていました。「商品と作品と、どうちがうのか?」「アートと工芸とデザインはどう違うんだ?」みたいなね。(笑)
今の僕はそういうことには、ほとんど悩んでません。例えば酒器ダルマでいえば、セラミックジャパンさんの商品であり、僕の作品なので。それが合致してない限りは次につながっていかないと思うんです。依頼がきたときには、「失敗するか成功するか分かりませんよ」ってよく言うんです。お互い納得して「僕もあなたのことを理解するし、あなたも僕のことを理解する。」「僕らはマーケットのことを理解して、使う人のことも理解する。」その上でやっていきましょうって話をします。それでも失敗することは当然ある。
杉原:私もものづくりに関わることがありますが、仮説を立てて、それを検証していく流れになるので、成功が確定していることはまずないですよね。マーケットはそれだけ複雑ということもあるし、デザイナーへの過度な期待もまたいけませんね。

輪筒(角館 伝四郎)

杉原:monovaの主力商品でもある角館の藤木伝四郎商店さんの「輪筒」は、山田さんの作品の一つですが、その藤木伝四郎さんとはどんな経緯でお付き合いが始まったんですか。
山田: 2009年に展示会で初めてお会いして、「茶筒は何十年も変わらない。それを何とかしたい。」とお声掛けいただいたんです。
杉原:樺細工の茶筒っていう何十年と変わらないものを変えることは、かなりプレッシャーが大きかったかと思うんですが、どうでしたか。

制作風景

山田:うん、茶筒は製品として完成してるんですよ。僕が何かをすることで良くなるとは全く思っていなかった。無理に変える必要はないと藤木伝四郎商店さんとお話もしました。それでも本当に問題点がないのか考えるために現場に行ったら、問題点がいくつか見えたんですよ。問題を解決するというのが、デザインの基本ですからね。従来の茶筒って、とてもキレイにピッタリと出来上がっているのに、僕は何か違和感があった。それは蓋と本体の切れ目なんですよね。一箇所あるんだったら、違和感がないようにみんな切っちゃったっていうことです。(笑)
茶筒はもともと、全体を一本の筒として仕込んでから、切って蓋にしているんですよ。だから木目模様もつながって確実に同じ径でピッタリ合うんです。であれば、同じ作業で輪切りにした違う材を重ねることで、新しい意匠としてモダンにしながら問題解決を図る。
杉原:じゃあ最初は、蓋の切れ目を解決したいと思っただけなんですか。

素筒 つまみのない内蓋

山田:そうですね “違和感を共感に変える”というのは、僕の考え方のひとつなんです。でも一方で樺だけで仕上げた「素筒」も同時発表していますよ。内蓋のつまみをなくして、お茶を蓋で量って急須に入れるまでのアクションをよりシンプルにしました。輪筒は外見のみを変更して、素筒は外見をそのまま残して内蓋だけを変えています。
杉原:「輪筒」は現代のインテリアでも一般的な素材のさくら、くるみ、かえでの木目が樺を活かして空間になじみやすいアイテムになっていると思います。「素箱」の茶櫃にも一部他の木が使われていますね。
山田:茶櫃のような面積が大きいものは全て樺であるよりも、一部違う方が今の消費者が受け入れやすいんじゃないかと当初から感じていたんです。輪筒にはその考え方を導入したんですよ。
杉原:他の素材との組み合わせがあるからこそ、従来の樺だけの商品にも意識が向くっていうこともありますよね。違うものと並んだことで改めて従来の製品の良さに気付く。これは商品企画の大事なポイントですよね。

杉原:山田さんは、角館伝四郎をはじめ、瀬戸焼のセラミックジャパン、燕市カトラリー燕振興工業のような日本各地の代表メーカーが参加している「SAYO」(作用)という活動をされていますよね、簡単に紹介して頂けますか?
山田:「SAYO」とはですね。簡単に言ってしまうと各産地メーカーの集まりなんです。
通常産地メーカーが発信しようとすると、同じ産地で組合の形が多いんですが、どうも思うような効果がでなくて何が問題なのか悩んでいた。例えば磁器だけで出品していると、その中に埋もれてしまって、バイヤーがそこに魅力を見つけられないっていう問題点があったんです。さっきの樺の話じゃないですけど他の素材技術と一緒に組むことによって、プラスになるのなら、一回やってみてもいいんじゃないかなと。そういう始まりでした。
そして、ただ作るだけではなくて、ちゃんと使ってもらうものを作る。違う素材だろうが、違う産地だろうか、違う技術だろうが「用いる」。それはつくり手だけじゃなく、デザイナーも売る人も巻き込んで、関わって、使ってもらう。お互いに「作用していく」って意味をこめて「SAYO」(作用)なんです。
杉原:今までそういう取り組みは、あまりなかったですよね。
山田:一回目の展示会から反応がとっても良かったんですよ。経済的なすごい成功があったという訳ではないんだけど、今までと全く違う反応でした。自分たちがやりたいことと合致したって、参加したみなさんが実感して、来年も一緒にやりましょうよって言ってくれました。
杉原:成功の基準ってそういうところもありますよね。一般的に経済的な成功のことを周りは評価する。でも周りがどう思おうが、当事者に前向きな気持ちが生み出されることがあれば、それは成功なんだと思いますね。
杉原:山田さんが、異なる産地と技術を“SAYO”でつなげることで新しい人が集まってくる効果はどうでしたか?
山田:そういう意味では本当に「SAYO」は大きかったですね。それぞれのメーカーのバイヤーやお客さまの交流が生まれて、それが増幅するんですよ。
杉原:同じマインドや同じ目的を持つ人が集まれば、共鳴し合って、もっと大きな輪になりますよね。扱うものが違うからこそ、意気投合して一緒にビジネスがしやすい環境があったり。
山田:「SAYO」の分かりやすいポイントは、コーディネートなんです。漆があって、樺細工があって、磁器があって、ひとつのブースの中でコーディネートができるんですよ。これからも全く違うモノを入れて、作用を高めていけるようにしていきたいです。
杉原: 今後の「SAYO」も活性化が期待できそうですね。
山田:しますよ、楽しみにしてて下さい。

杉原:さて、 今回は伝統工芸に関わりの深いデザイナーとして山田さんのお話をお伺いしているんですが、デザイナーの目線で見た、伝統工芸の課題は感じるところはありますか?
山田:問題点を探し始めると実はすごくいっぱいあるんですが、でも逆に見てくと、すごい宝が埋もれてる感じ。本人たちが気づいてないことが沢山ありますね。茶筒も実はそうだったんです。樺細工って名前だから、樺を使わなきゃいけないって思っていたりするんですけど。「素材じゃないですよ。技術が素晴らしいんですよ」っていうと、「えっ、技術が素晴らしいなんて思ってなかった」って。なぜかというと、他の産地を見たことないから。という感じで、けっこうすごい宝が埋まってるんです。(笑)僕の仕事はその違和感を感じながら、それを解決することです。でも、必ず向こう側に魅力がなければ絶対に魅力的にはならないので、その魅力を引き出すこともやります。産地の方々が気づいてないことを、僕らは外からの冷静な視点で見つけ出すっていうことですかね。
杉原:技術に着目することも、素材に着目することもあるんでしょうね。
山田:デザインしなくてもいいなって思う場合もよくあります。機能やカタチを変えなくても、もっと売れると思うんです。若者が知らないから。広報すればいいだけなんです。でも産地では、すでにみんな知ってると思ってるんですよ。それは大きな間違いで、若い女の子が「チョーかわいい!」とか東京の展示会で言ってるんですよ。(笑)だから課題としては、デザインやものづくりの視点だけじゃなくて、広報というところもあるのかなと感じますね。
杉原:ものづくりの人たちだから、ものづくりで解決しようとしてしまうけど、その範疇は拡大していて、広報まで含めてものづくりと認識して強化していかないといけないですね。

輪筒・素筒コーディネート例

山田:そうですね。それだけですごく変わると思います。それもたぶんデザインなんですけどね。現代生活の中で樺細工はどういう風に使えるのか、製品はいじらずに見せ方を変えたりする方が実は効果が高いかもしれない。
杉原:使い方の提案って必要ですよね。使い方の提案をするだけで、新しい商品に見えるっていうのは、ローリスクで効果を最大限発揮できるいい方法だと思いますね。プロダクトデザイナーとして、そこを提案するっていうことに矛盾を感じることはありますか?
山田:感じないですね。それは最初にお話したのと同じで、目的が明確だからですね。
目的はみなさんに使ってもらうということですから。僕がデザイン活動をしている原則は、考える人、つくる人、それを売る人、それを使う人、その関わるすべての人が、豊かになること。「豊か」には経済的なことも、気持ち的なことも、つくる意欲とかも含みます。って考えていったら、実は何も問題はないですよね。
杉原:デザイナーとしては当然、図面をひいて新しいカタチを生み出したくなると思うんですが、一歩下がって、図面をひかずとも使ってもらえるようにすには、どうすればいいだろうって考えられる、その奥行きのある発想力はとても素晴らしいと思います。
杉原:そろそろ最後になりますが、プロダクトデザイナーとして今後の目標や目指しているものはありますか?日本のモノづくりへの関わり方とか、お考えがあったら教えて下さい。
山田:うーん、これからどうあるべきかとか、あんまり考えてないかもしれないですね。世の中にないから作るとか、現場に行って違和感あるから変えた方がいいかなとか。生活している中でこうなったらいいなとか。僕は、わりとそういうところがスタートですから。
杉原: ずっと昔から続いてきたものに新たな魅力を発見したり、違和感を感じる
というのは、やっぱりデザイナーの能力だと思いますよ。
こういう新しい動きや手がけられた商品があれば、今後もmonovaで応援させてください。また是非よろしくお願い致します。本日はありがとうございました。

 

 

 

< インタビュアー 杉原 広宣 プロフィール >
1972年埼玉県生まれ。2001年より日本のモノづくりに関わるようになり、
これまで手掛けた製品開発、展示会企画などのプロジェクトは、有田焼、山中漆器、今治タオル、越前和紙など。
2011年にmonovaをオープン。各地域のモノづくりに貢献するべく今日も奮闘中。